スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

1位から野手を指名し続けるドラフトの歴史

スポンサーリンク

今回は
野手陣にどこかほころびが見えると
どのチームでも盛んに期待されるようになる
「1位から野手を指名し続ける野手偏重ドラフト」の歴史について
紐解いていこう。

 

 

1992年以前

まずは1992年以前の上位3人野手指名。
これは一覧で紹介しよう。
なお1966年は分離ドラフトのため対象としない。
2005~07年の分離ドラフトも同様だ*1

上位野手偏重

最初の例はドラフト1年目の65年阪急。
合計では野手9人、投手4人を指名したものの
4位矢沢からは
9位指名の水谷勇以外全員が入団を拒否したため
最終的な獲得人数は野手3、投手1だった。
同様に
73年太平洋は4位以下が全員入団拒否、
上位野手3人のみの入団にとどまっている。
84年ヤクルトの柳田と
90年巨人の吉原は
どちらも抽選を外しての指名。

指名の結果は
大失敗と言える年は一つもない。
65年阪急、75年巨人、84年ヤクルトは
大当たり2人以上を輩出する大成功となっており、
他の年もほぼスタメン主力1人と控え1人以上は出てきている。
一方で入団数が少ない投手は
7人全員がうまくいかなかった。

 

1993年以降の野手偏重指名

1995年巨人

1995G

1996年ダイエーまでは
どのチームもやってこなかったかのように扱われることすらある
野手3人の上位指名だが
ダイエーの前年にこのドラフトを敢行したのが巨人。
1位では福留の抽選を外したものの
外れ1位では原の抽選を引き当てて
2位は仁志を逆指名し
3位では清水も獲得した。
この仁志と清水が大当たりの大成功ドラフトだが、
他の選手は伸びなかった。

1996年阪神

1996T

ダイエーはいったんおいておいて
同じ年の阪神を取り上げよう。
1位は今岡を逆指名し
同時指名の2位に関本、
ウェーバー最初の3位では濱中を獲得した。
この3人が全員大成した大当たりドラフトにもかかわらず
なぜか評価は高くないようで、
野手上位指名を推奨する評論家からは完全に忘れられていた。

1997年巨人

1997G

96年は大学生と社会人投手を3連続指名した巨人は
翌年再び野手偏重ドラフトを行った。
激しい争奪戦で高橋の獲得に成功すると
3位どころか5位までを野手で固める指名。
高橋は1年目から主力として大活躍だったが
あとは川中が控えで戦力になった程度。
小田は貴重な存在だったものの
阿部慎之助の台頭もあって
主力で使える場所がなかった。
投手では平松がそこそこ投げたが
こちらも短命。

2001年西武

2001L

野手偏重ドラフトの中でも
屈指の当たり年と言えるのがこの年の西武。
自由枠では
伊東勤の後継候補として細川を獲得。
この後西武が得意とする
東北大学枠の先鞭をつけた指名でもある。
そして2巡、4巡で獲得した中村と栗山が
どちらも4年目に一軍戦力として台頭、
その後15年以上にわたって活躍する
大当たりだった。
5巡の竹内はこの年の甲子園準優勝投手の一角。

2003年広島

2003C

ここまでは成功例ばかりだったが
この年の広島は失敗例。
白濱は18年目の2021年も残留しており
チームにとって必要な存在にはなっているようだが
一軍の戦力とはならなかった。
2年目に一軍主力に定着しかけていた尾形が
大怪我で選手生命をほぼ絶たれてしまったのが痛かった。

2010年オリックス

2010Bs

最初の入札では6球団競合の大石の抽選を外した。
2008、09年がほぼ投手の指名だったためか
そのあとは野手の指名に切り替えたが
伊志嶺と山田を入札するが全て外して
最終的には後藤の1位指名。
2位以下も野手中心だった。
後藤は1年目開幕スタメンで使われるほど期待されたものの
なかなかバッティングが伸びず、
他の野手も伸び悩んだ。
塚原はリリーフで開花したが
怪我もあって長くは投げられなかった。

2012年広島

2012C

1位では明言していた森、
外れ1位で増田の抽選を外したところで
カープは野手中心の指名へ移行、
育成の辻以外全て野手を獲得した。
2位の鈴木が球界屈指の打者に成長。
控え要員として戦力になった上本と下水流
活躍年数が不足気味で
今のところ大当たりとまでは言えない年だが
充分もとはとれた指名になっている。

2015年楽天

2015E

3年連続で1位抽選に勝っていた楽天
地元のスター平沢を明言するが
この年は抽選で敗れた。
しかしほぼ同じ知名度をもつオコエを獲得すると
2位からも石橋以外全て野手を指名した。
結果はというと
茂木が1年目から活躍しているものの
あとの選手はバッティングが伸びてこない。
まだ5年が経過しただけなので
特に高卒はもうしばらく経過を見よう。

2020年ソフトバンク

2020H

野手の世代交代が差し迫っているホークスは
佐藤輝明を1位入札したが抽選は外れ。
2015、16年は2年連続で投手の大競合を制したチームだが
これで野手の抽選を4年連続計6回*2外す結果になった。
上位野手2人どころか4位までを野手で固め、
支配下は2年連続で投手1、野手4の
野手偏重ドラフト。
代わりにというか
育成指名が大半の投手は大学生が多い。

1996年ダイエーの特殊性

1996年ダイエー

この年のホークスドラフトが
他の野手偏重指名と違う点は
支配下での投手入団が多いことだ。

1996H

65年阪急と73年太平洋は
前述のとおり投手指名の大半に入団拒否されたため
ドラフト指名の投手入団*3は少なかった。
そのため
1位から野手3人を指名したチームのほとんどが
指名数を抑えるか
そのあともひらすら野手を指名するかして
投手をおろそかにしがちな中、
ドラフトの中で投手3人を獲得したのは
この指名が初めてだったのだ。
しかもそのうちの1人岡本が
1年目から抑えとして活躍。
野手3人の大当たりで見過ごされているが
投手も即戦力をしっかりと確保していた。
高校生が1人がいない点も
触れる人は自分ぐらいしかいないけども
これはいいだろう。
このランクの即戦力を3人集めることは
さすがに逆指名や囲い込みがない現代ではなかなか困難だ。
ただ投手のほうは参考にしやすい。
投手は早くに出てくる選手が意外と残っているものだし、
高卒の素材型に走るのを避けさえすればいいのだ。
高校生投手で唯一狙っていいのは
他のチームでは育てられず需要が低いが
自分のチームでは長く活躍する戦力に育てたことがあるタイプ
になるだろう。

 

2018年阪神

96年ダイエーから22年後。
野手3人を指名した後に投手3人を指名した
ドラフト史上2回目のレアケースが
2018年の阪神である。

2018T

1位抽選は2連続で外してしまったが
3回目の入札でもセンターにこだわって近本を指名。
さらに小幡、木浪と連続でショートを獲り
阪神ではこれまた22年ぶりとなる野手3人連続指名をした。
そのあと4位からは支配下では全て投手。
高卒の川原に高卒1年目の湯浅と
ダイエーと違って素材重視の指名ではあったものの
野手3人からの投手3人という
96年ダイエーと似た指名になったのだった。

最初の2年間で近本と木浪が戦力になっており、
打撃はまだまだだが小幡も一軍経験は積んだ。
このように野手はそこそこ順調だが
投手はまだいまいち。
かなり若い2人はともかく
巷では即戦力の1位候補と評されていた齋藤も
戦力になっておらず、
4位まで獲らなかったプロ側の判断は
今のところ間違っていなかったようだ。

 

上位野手偏重ドラフト直後の奇妙な共通点

ここまで見てきた
1位から野手を3人以上指名し続けるドラフトには、
実際の指名や結果とは別に
もう一つ妙な点がある。
ドラフト直後の評価があまり高くないことだ。
普段から投手もしっかり確保しないといけないと言う人、
野手偏重のドラフトをそれほど評価しない評論家がこう言うなら
別におかしなところはない。
変なのは
96年ダイエーの指名を絶賛し
「見習って上位で野手を獲れ」と主張する人たちのほうが
ダイエーを見習ったような指名を高く評価しない
点である。

それなりに高く評価されたと言えるのは
2015年楽天ぐらい。
2012年広島はまだましなほうで
2010年オリックスや2018年阪神にいたっては
酷評と言える低評価を下された。
2020年ソフトバンクも評価は低い。
同じ人たちがよく主張している高卒至上主義かといえば
上位2人が高校生なのが3例もあるので
これは違う。
オリックス阪神のケースは長打力がいささか低めなので
それかと思いきや
これではソフトバンクの低評価がおかしいし、
やはり長打力の高い中村を指名した2001年西武は
4球団競合の寺原隼人に入札せず
自由枠へ逃げたという理由で
やはり当時は評価されていなかった。

それどころか96年ダイエー
当時はさほど高く評価されていない。
ドラフト直後の週刊ベースボールでは
「強打者の争奪戦を制したのはよかったが高校生がおらず
目の前の即戦力に走ったのはいただけない」
といった主旨の評価*4がされていた。
つまり
1996年ダイエーのドラフトに衝撃を受けたというのは
ホークス優勝後の後付け設定にすぎなかったのだ。

結局のところ、
野手偏重指名がドラフト直後に評価されるには
ドラフト評論家にとっての「正攻法」をとり、
そのあとも評論家が好む選手を
指定通りの順位で指名していかなければならない。
一番人気の抽選を当てるだけの強運も必要になる。
またおそらくは
選手起用なども
評論家が望む若手を一軍スタメン固定させることが求められる。
そうでなければ
彼らの普段の主張からのマイナス点が
1位抽選結果と笹川の指名順位ぐらいしか見当たらない
2020年ホークスの評価がやたらと低くなった理由が見当たらないのだ。
そして
これが評論家に限ったことではないのは
2018年ドラフト直後の阪神への阿鼻叫喚と嘲笑の嵐*5
からも明らかである。

あともう一つ評価を上げる方法は
実際に結果を出して強くなることである。
そうすればその野手ドラフトについても
「自分は最初から高く評価していた」と
後付けで高評価される可能性は出てくる。
もっともこれも識者の匙加減一つなので
96年阪神のように
充分すぎる成功条件を満たしていても忘れられることもある。
結局のところ
チームとしては
そんな識者やファンの声は無視して
チーム事情と自他の評価に合わせた指名をし、
選手とチーム事情に合わせた育成と起用をするため以外に
野手偏重ドラフトをする理由はないのである。

*1:1966年は南海二次、阪急二次、サンケイ二次、巨人二次、阪神二次、広島一次、大洋一次の計7チームが該当するが、3人とも入団したのは大洋だけ。2005~07年は2006年の高校生ドラフトソフトバンクと巨人が敢行している。ソフトバンクの1巡入札は投手の大嶺祐太

*2:抽選全体では2020年時点で7連敗中。ドラフト1位野手の抽選は南海時代から数えて15戦全敗

*3:ドラフト外入団は今回は考慮していない

*4:執筆者はすでにドラフトの第一人者として地位を確立しつつあったドラフト会議倶楽部の主催者である

*5:しかも2019年ごろまでは毎年のように「野手ドラフトをしろ」との声が大きかったにもかかわらずだ