スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書きなぐるブログ。更新頻度は気まぐれ

【再掲】横浜ドラフトへの異常な愛情~または彼等は如何にして心配するのを止めて高卒選手を愛するようになったか~

ニコニコブロマガの内容を再構成した。

 

評論家・マニアから絶賛されたマルハ末期

横浜のドラフトへの評価はマルハ時代とTBS時代で非常に大きく変わり、
マルハ時代は高評価というか絶賛され、TBS時代は常に酷評されてきた。
それぞれの時代を簡単に説明すると、
まず逆指名以降のマルハドラフトは2つの時代に分かれる。
93~96年の逆指名を多用しつつ3位以下で高卒野手を集めた時代と、
97~2001年の高校生偏重時代(高校:大社=21:12)だ。
それがTBSになってからの3年間は上位は全て自由枠を行使し、大社偏重(5:18)になった。
2005年以降は路線が若干変化するが、ここは後で触れる。
そんなドラフトの結果は、以前書いたようにどちらの時代も惨憺たる状況、
いや、むしろマルハ時代のほうが悲惨といってもおかしくないのだが、
評価が変わることはないのが現状である。

TBS時代はわかる。
当たり次点は時々あるが戦力になった選手が少なく、
他に選手がいないので使われたがやはり結果を残せなかったという選手も多い。
どう見てもおかしいのはマルハ時代への評価で、
マルハ時代と言っても、絶賛されたのは97~2001年のほうなのである。
5年で大当たり年なし、大外れ年2回に外れ次点が1回なうえ、
他の外れ年とも違って短期の戦力すら非常に少ない時代だが、
なぜかずっと高い評価を与えられ続けてきた。
理由としては単に高校生が非常に多いこと、
上位指名では野手も多く(10人中5人)、
逆指名も駆使して一定のバランスをとったこと(上位は高6:大社4)、
競合に向かうことが多かった(2位も含めて4回、結果は1勝3敗)こと、
評論家や一般評価の高い選手をかき集めた(=独自路線ではない)ことが挙げられる。
さらにAクラスが続いていた時代でもあるため、
「強いときほど高校生を獲り将来に備える」という名目とも合致していた。
しかも高卒率が63.6%とかなり高いのに「バランスがいい」と褒められていたのだ。
一方で93~96年も総数では高校生のほうが多い(12:10)のだが、
上位指名で徹底的に大学・社会人を指名した(1:7)ため即戦力重視と見做されている。
上位の大半が投手で、2001年までに大成した選手が少ないのもあってか、
当時の評価は、少なくともマルハ時代の間は高くなかった。

それだけ好む人が多いためか、この5年間のドラフトの失敗に
何とかして別な理由をつけようとする人がまた多い。
曰く「TBSの即戦力ドラフトで干された」「TBS時代の育成が悪い」
森祇晶監督がすべて台無しにした」などなど。
共通しているのは「素晴らしいドラフトをしたのに別な何かに潰された」という主張で、
中日のところで書いたような
「素晴らしい指名をした。失敗したのは誰か別な〇〇のせい」という光景は、
実際にこのマルハ時代末期のドラフトに対して盛んに言われたことなのだ。
そしてその批判のほとんどはTBS時代に集中している。
マルハ時代に関しては2001年の首脳陣以外に批判対象がなく、
批判が集中している当の監督を選んだことすらも批判はされない。
しかしいくらTBS時代が暗黒期だったとはいえ、
そもそもこのマルハとTBSはドラフト戦略もそんなに違ったのだろうか?
実のところ、この両者には共通する弱点が多い。

 

横浜ドラフトの共通した弱点

成功野手の妙な偏り

いつごろ書かれたものだったか忘れてしまったのだが、
以前、TBS時代のドラフトはマルハ時代に比べて
「外野手の指名が多すぎ、内野手(特にショート)が少なく場当たり的」と
書かれているのを見たことがある。
マルハ時代の93年からの9年では外野6人、内野手が11人、
それに対して2002~11年の10年間で指名された外野手は10人いるが、
実際には内野手も14人指名されているので単に野手の指名が多いだけである。
2006~08年のように外野が1位競合も含めて5人、その間内野が2人だった時期もあるが、
いったい何を勘違いしたのだろうか。
書かれた時期がわからないので断定できないのだが、
もしかしたら吉村裕基梶谷隆幸、筒香嘉智を
元々外野手と思い込んでいたのではなかろうか。

実際のところを言うと、このチームの野手の本当の偏りは外野ではなくサードである。
村田修一、石川雄洋、筒香と成功した選手にサード出身者がやたら多い。
しかも実際にはマルハ時代も同じで、石井義人古木克明が該当する。
石川と石井がショートやセカンドで成功、
村田もルーキー年はセカンドに回っていた*1が、
最終的には強打者の育成自体は一定の成果があがったものの
常にセンターラインに悩まされる事態となった。
加えてショート出身の内川聖一、梶谷やファーストの吉村*2
センターラインでは大成できなかったため、
結局ファースト、サード、両翼しか守れない選手ばかりが揃う結果になってしまった。
一軍に出てきた時はサードだった金城龍彦をセンターに回さなければ
もっと悲惨なことになっていたかもしれない。
育った選手は打撃重視のポジションなので利得は小さく、外国人も入れづらい。
育っていないセンターラインはやはり利得を得られない。
さらに言えば、以前書いたように近年はNPB全体でサード出身のサードが育たないので、
村田がいなくなった後はサードも苦戦を強いられることとなった。
このサード難はマルハ時代から受け継いだものだったと言えるのだ。
では指名選手はどうだったかというと、
TBS時代のサード:ショート比率は5:8(吉村は除く)だったのに対し、
93~01年のマルハでは4:5、97年以降はショート率が1:4と増したが、
一方でファーストも2人指名されるようになっている。
なおDeNAになってからは内野手11人中6人がショート。
あとはセカンド2人、サード2人、ファースト1人*3
最近ショート以外の指名が増えつつある。

投手の目利きと育成の悪さ

投手のほうは現在まで常に戦力が不足しており、
多少無理をして良くなっても翌年には反動でさらに悪化する、を繰り返す間に
さらに暗黒期に突入していった。
まず大学・社会人だが、93~96年は上位で大社投手の指名が多かった(8人中6人)ものの、
川村丈夫以外はそれなりに登板してもリリーフか便利屋ばかり。
97~01年は木塚敦志が活躍したが、吉見祐治は2002年以外内容が良くなかった。
2002年以降の指名選手では先発が2011・12年限定の高崎健太郎だけ。
リリーフも加藤武治牛田成樹、加賀繁、大原慎司ぐらいしか見当たらないという惨状だ。
あと、高宮和也桑原謙太朗はなぜか阪神に行ってから才能を開花させている。

高卒投手がまた悲惨だ。
96年までは大家友和福盛和男横山道哉がいるが、
横浜では全く活躍できないか出てきても長続きせず、
他球団に移籍してからの活躍のほうが目立つ選手ばかり。
本当に活躍できるまでの育成に時間がかかったと言い換えることも出来るだろう。
そして97~01年は5年間で11人も指名。
それも評論家の評価が高い選手をかき集めて絶賛されたが、
秦裕二が1年だけリリーフで投げた以外全滅となった。
一方のTBS時代で名前をあげられるのは山口俊、田中健二朗国吉佑樹
こちらも田中は育成時間がかかりすぎ、国吉は現状短命になっている。
逆指名以前の指名選手で大成した野村弘樹三浦大輔のイメージで隠されがちだが、
この目利きと育成の悪さもまた、マルハ時代からさほど変わっていない部分なのだ。
くじに外れたから仕方ないという声もあがってきそうではあるが、
競合で外した高卒投手も松坂大輔は大成功だが川口知哉は外れ、、
寺原隼人の場合は当たり選手ではあるがホークスではいまいち芽が出ず、
本格化したのは6年目にベイスターズに移籍してから。
何だろうこれは。

同一チームからの指名が多い

ここはちょっとしたおまけのような話。
同じ学校やチームなどパイプの存在も重要視されるこの世界では、
同じチームから複数年にわたってドラフト指名があるのは珍しいことではない。
ましてや全てが自由競争にすら近かった逆指名時代までではよくあることだ。
ただ、横浜の場合は同じ年に同じチーム出身の指名がやけに多く、
2002~04年は3年連続でそういう指名があった*4
特に2002年は日本大が2人、法政大出身が2人、東福岡高出身が2人で、
全10人中5人がこういう指名だった。
2002~11年まででは合計13人でこれも全チームトップである。
と、これだけを見るといかにもTBS時代のダメっぷりが際立つと思うだろうが、
実はマルハ時代もかなり多く、93~01年の間に計9人はやはり同時期の最多記録である。
マルハとTBSの違いは、マルハでは高校生にこのパターンが多かったことで、
うち横浜高が4人と地元枠でもあったことだろうか。
この手法が98~00年に3年連続で続いたのもTBS時代と同じ内容となった。
なお、成功者はどちらの時期も多くなく、同年に2人出たのは村田と吉村だけだった。

 

 

欠点が重なる2つの時代のドラフト

こうしてみるとこのチームのドラフトは、
選手の出自だけを見ると一見真逆に思える2つの時代でも
非常に似た弱点を抱え続けていたことがわかる。
選手の出自に関係なく将来の低迷が目に見えている状況だったのは間違いないが、
それ以上にちょうどこの時期は、
時代そのものがこの横浜の状況とは逆行する形で動いていった。
まず野手はサード出身者の守備位置が限定されていったころである。
そして投手は以前出したように
2000年にかけて一軍の主力投手数が激増していた。
1年に10人程度で済んだのが8年後には13~14人は必要になってきた時期である。
今思うと全盛期の横浜は、
サードに打力とともに守備力の高い選手(進藤達哉)を入れる、
ローテ投手をそろえつつリリーフ投手も重視する継投、といった特徴があり、
こうしたNPB全体の流れの構築に一役買った印象を受けるが、
当の横浜が全く対応できなかったのは皮肉でしかない。
そんなこの時代の中で、成功率を大きく下げる高卒偏重の指名は
実のところ大卒・社会人主体よりもまずい結果を招く可能性が高く、
しかも結果はその低い期待値からも大幅に下回ることになってしまった。

マルハが高卒偏重に走った最大の理由が金銭面にあったのは間違いない。
特に最後の2001年は、外国人は前年までのローズの年俸の半分以下で5人の選手を雇い*5
高額になっていた生え抜きの進藤や波留敏夫をトレードした*6
そういう意味ではこの当時の横浜ドラフトを単純に批判しづらい部分があるが、
一方で成功率を下げる指名をしながら選手の頭数をそろえることができるのは、
FAや外国人に多額の投資をできる金満球団だけ。
貧乏球団がこの手法を行えば致命傷を負うのは目に見えている。
マルハ時代末期のこのドラフト戦略は、はっきり言って最悪の選択をしたと言っていい。
横浜が暗黒化した最大の理由は、この時期のドラフトそのものにあったのだ。

ではTBSの欠点は何か。
少なくとも一つ確かなのは、マルハ時代の欠点をまるで改善できなかったことだろう。
ドラフトで良かった点があるとすれば、
せいぜい早稲田大との関係を修復したことぐらいではなかろうか。
野手は2009~11年に多少は遺産を残せたが相変わらずポジションの偏りが大きく、
二遊間、サードとキャッチャーに一定の力を持つ選手が揃ってきたのはDeNAになってから。
投手指名もDeNA以降の成果がほとんどである。
もしかしたらここまでを見て、今のご時世だけにTBSの肩を持っているという理由で
ある種のレッテルを貼られそうな気がしないでもないが、
この時点で彼らのベイスターズ暗黒期形成に対する責任が非常に重いのは
間違いのない事実
なのだ。

 

 

2005年以降の指名「バランス」

続いて2005年以降の数字について見ていこう。
2005~11年の間、本指名における高校生:大学・社会人は20:26で、
育成も含めると23:30。
即戦力偏重のイメージにしては妙に両者の数が拮抗しているほうだし、
2011年の高校生乱獲の記憶がある人にとってもまた変な数字だ。
なぜこんな数字になったのだろうか。

このような指名の理由を紐解く鍵は、ドラフト評論でよく使われる「バランス」にある。
シンプルに考えると得られる答えは、
高校生と大学・社会人の数を1~2年周期で合わせようとした、ということだ。
というのも、分離ドラフトになった2005年の高校:大社が2:3で、
06~07年が7:7(育成込で8:8)、
統一ドラフトに戻った08~09が3:7(5:7)、10~11が8:9(8:12)。
3位・4位に上がった分離時代の2005・07年はともかくとしても、
最下位に沈んだ2009年(3:2、5:2)と11年(8:1、8:3)の高校生重視は異様である。

ドラフト評論の世界においては往々にして、
名目上は「高卒:即戦力」「投手:野手」の「バランス」をとることが
どんなチーム状態であったとしても求められる。
こうしたドラフト指名への考え方は既に広く浸透しており、
TBS後期のドラフトはこの考え方をもとにバランスをとりに行った可能性があるのだ。
しかしそうやって結果としては彼らの意向に沿った指名をしても、「一貫性がない」だの、
2011年にいたっては「いやがらせ」だのと叩かれるだけで終わった。
藤岡貴裕松本竜也が連続で競合している時点でいやがらせではありえないのだが……。
しかも上で書いたように彼らの言う「バランス」は実際には高校生偏重なので、
そうした意味でも当時のドラフトへの評価が上がるはずもなかった。
また、「一貫性」をもって指名したとしてもどう評価されるかは同様にあやしい。
DeNAになってからの6年間は本指名が10:34、育成込では16:37、
上位も地元松井裕樹の入札以外全て大学生と社会人という
TBS前期並に一貫した即戦力重視ドラフトになっている。
野手も白崎浩之と神里和毅のみと、上位は徹底した投手重視である。
2年連続CS進出を決めた現在の投手陣はその大半がこの5年間で指名された選手たちだが、
このての「バランス」を重視するタイプの評論家やファンがどう評価するか。
高校生が足りないという批判は実際にしばしばされていたし、
一方で評価されたとしても、筒香嘉智や桑原将志といったその前に指名された選手や、
昨年一軍出場した飯塚悟史や綾部翔、細川成也にばかり目が向いている可能性も高い。

 

 

評論家・ファンうけするドラフトの末路

最初に書いたように、マルハ時代末期(1997~2001年)のドラフトは、
その結果に一切関係なく評論家・ファンから絶大な称賛を受け続けた。
それは、評論家やファンには
この時代のようなドラフトをすべきという「常識」が浸透しているからである。
高校野球が非常に*7盛んな日本ではもともとそうした意識はあったのかもしれないが、
90年代から2000年ごろに少しずつドラフトの評論が盛んになっていったことで、
その中心となった評論家たちが10年近くかけてそれを広めていったということだろう。
ちょうど始まった逆指名制度への反感*8がこれを後押しした部分もあるかもしれない。
そしてこうした評論家が作り上げたバイアスが、
既に野球ファン、マスメディアの間に深く根づいてしまっている。
たとえその評論家たち自体は批判されていても、20年以上これが変わっていないのだ。
どんな状況下でも投手と野手を均等または野手中心に、
評論家の評価が高い選手か知名度の高い選手を、
高校生を中心に*9指名をする。
それがドラフトにおける鉄則であり、「バランスのとれた指名」なのだと。
そしてこのときの横浜はその通りの指名をした。
もちろん、当時の編成が外部の声の言いなりに指名したというわけではないのだが、
結果としてはそうした形になった
これが大絶賛をされた理由である。
以前、ドラフトにおけるファン目線について取り上げたことがあるが、
マルハ時代末期の横浜のドラフトは
まさにドラフト評論家目線、ファン目線と一致したものだった。

しかしその最終結果は、
内川聖一金城龍彦といった大物選手が出たにもかかわらず
トータルでは大失敗に終わり、
暗黒期を招く最大のポイントを作った。
よく評論の世界では「5年先、10年先の将来を見据えて」という言い方をするが、
まさに97年から5年後、10年後には暗黒期のステップを着実に踏んでいったことになる。
2002年からのTBS時代の失敗がその流れにさらに拍車をかけたのはたしかだが、
その最初の完成形を作り上げたのがマルハ末期のドラフトだったのは間違いない。
言うなれば横浜は、
評論家・ファンの言う通りのドラフト指名をしてチームが崩壊したのである。

情報が少なく、
評論家の論評や甲子園大会の映像に頼るしかなかった当時は仕方ないにしても、
今その結果を知る我々はここから教訓を学ばねばならない。
たとえば、評論家や一般のファンによるドラフト選手評価や、
彼らの主張するチームの強化方法はどの程度信用できるのか?
ただし評論家と一口に言っても、最近出る機会が増えた評論家の場合は、
もともとスカウトやチーム全体の編成にも携わっていた人、
どこか特定の球団のファンで、補強ポイントを無視した、
かつこのようなバイアスに沿ったドラフトの危険性を知っている人も少なくはなく、
単純な選手への評価とチームの補強ポイントとを分けて考える人も珍しくない。
厄介なのはかなり昔から数多くの媒体で評論をしてきた人たち、
つまりはこの現在まで続くバイアスを作り上げた人たちである。
こうした人たちはチームの補強ポイントを無視してでもスター選手に向かわせたがり、
大卒や社会人は最小限未満に抑えつつ高校生を獲らせたがる。
しかもそれこそがチーム強化の唯一の方法と主張し続けている。
当然ドラフト候補や指名選手の評価も
大卒・社会人に対して高卒の評価が大幅に甘くなり、
こころなしか大卒・社会人でも高校生のような完成度の選手を好むように見える。

選手の育成方法や起用についても考え方は同じで、
評論家やファンは往々にして、育成にかかる期間と自分の目に対して非常に楽観的だ。
そのせいか、今いる中堅・ベテランを軒並み解雇してでも多くの高卒選手を獲得し、
自分が気に入った若手を1、2年目には一軍で「使えば伸びる」と考える人が非常に多い *10

こうしたドラフト指名・育成・起用については、
ベイスターズに限らず失敗例も多々あることは他のチームでも見てきたとおりだ。
しかしこの手法は唯一絶対と信じられているため、
成功した時は大々的に(都合よく歪曲されて)称賛されるが、
失敗した際には別な理由が探されるか見なかったことにされる。
正反対の手法をとった場合は当然この両者が真逆になり、
そこにどのような意図があったかも全て感情だけで断定するようになる。
評論家の言論はもうどうしようもないにしても
我々ファンはその内容に対して疑問を持つ必要があるし、
我々自身もまた、知らず知らずのうちにこうしたバイアスに陥っていないか、
何度も踏みとどまって考える必要があるだろう。

*1:昔はこの手法がうまくいったこともある。代表例は掛布雅之がいたのに2歳差のサード岡田彰布を獲得し岡田をセカンドに回して成功した阪神

*2:練習試合でショート経験はある

*3:現在キャッチャー兼任

*4:もっとも2003年の明治大2人は別な意味合いが強そうだが

*5:なおTBS時代は、コックスのダメージが大きかったのもあってか2000年ローズ1人の年俸を総額で超えたことが一度もない

*6:監督がゴリ押ししたとされるが、この大型トレード2件で年俸総額が約6,000浮いている

*7:異常と言い換えてもいい

*8:あるいは巨人、ナベツネへの反感

*9:「『評論家の評価が高い選手か知名度の高い選手』=ほぼ高校生」と言えなくもないが

*10:こう書くと彼らはいきり立つだろう。しかし彼らの求める起用は、理由をパワプロ的な「使えば伸びる」から「使わないと伸びない」に変えて一見もっともらしくしているが、実際の起用法(「俺様の気に入った若手を使え。いつ伸びるかわからないから悪くても我慢して使い続けろ。気に入った選手が伸びないのは首脳陣のせい」)については主張が何一つ変わっていない