スポーツのあなぐら

主に野球のデータ、ドラフトについて書いていくブログ。更新頻度は気まぐれ

根本陸夫に学ぶファースト指名が可能なチーム構成

スポンサーリンク

 

 

※ニコニコのブロマガの一部を再構成した。

 


昨年のドラフトはファーストの清宮幸太郎に7球団が競合した。
彼の場合最大の弱点になりうるのはファースト専任になる可能性なのだが、
清宮に限らずファースト専任の選手も構わずに次々と指名すべきだ、
という声は結構多い。
そしてその根拠の一つによくあげられるのは清原和博である。
西武時代に日本シリーズを含めサードで20試合強出場したことはあるが、
これ以外はファーストと指名打者の出場となっている。
ファースト専任とされる選手でもファースト以外の出場が少ない選手はそうはおらず、
ここ30年ぐらいでは外野(広沢克己松中信彦福浦和也など)やサード
時にはセカンド小早川毅彦)と他のポジションの経験があるものだ。
今例に挙げた4人も、福浦以外はアマ時代からファーストだった選手。
このことからも、プロで完全にファースト専任になる選手がそうはいないことは
何となく頷いていただけるかと思う。

ところで、こうしたファースト専任の成功選手に清原、松中がいることから、
この当時の西武、ダイエーの編成を行っていた根本陸夫の名前を出し
「見習ってポジションに関係なく獲るべきだ」と言い出す人も現れそうである。
ファーストの事例ではないが、ダイエー時代の94年に
当時25歳だった吉永幸一郎がいる中で城島健司を獲得したことは
「ポジションに関係なく指名しろ」の材料にされる*1

実際、この清原・松中の指名からは学ぶべき部分がある。
しかしここから学べるのは、 「ポジションと汎用性はしっかり考えて指名すべき」ということだ。

1984~85年の西武

まず1985年の西武から。だが、ここはその前に84年から見る必要がある。
84年のドラフトで西武はやはりファーストの広沢克己を指名しているからだ*2
つまりこの時期の西武は強打のファーストを探し続けていたのである。

f:id:Ltfrankc:20180304202807j:plain
捕手は若い伊東勤が台頭し、内野も若い辻発彦秋山幸二が頭角を現していた。
外野は岡村隆則やトレードで獲得した田尾安志といった選手たちががんばっていたが
一方で西岡良洋などの若手も出始めている。
そんな中、ファーストとDHはサードから回った外国人のスティーブに
片平晋作大田卓司田淵幸一のベテランで構成されており、
新旧交代がほぼ完成されてきた中でここの2枠が穴になっていたのだ。
なお清原に関してはサードコンバートが既定路線だったが、
肩の脱臼癖があったため実現しなかったという当時の森監督の証言がある。
もし清原がサードにコンバートできていればあぶれるのは秋山ということになるが、
秋山は一軍デビュー当時からセンターでの出場も多かったので、
87年のセンターコンバートはずっと考えられていたプランだったのかもしれない。

かなり危機的だった1996年ダイエー

96年のダイエーはさらに重要である。

f:id:Ltfrankc:20180304202753j:plain
この年のダイエーは得点が3年連続リーグ3位、
失点は94年以外リーグ最下位が続いていた(この年は最下位と僅差の5位)。
なので「監督も投手が欲しかったはず」と断定されていたが、
実際の打線はかなり深刻な状況にあった。
二遊間の小久保裕紀浜名千広にレフトが村松有人、センター秋山幸二
キャッチャーが吉永から城島とセンターラインは埋まりつつあったが、
ファースト、DH、サードは急激に衰えたベテランと
伸び悩みの目立つ中堅選手が併用されていた。
打撃重視のポジションなのに
OPSが.700に達する選手がほとんどいないという深刻な状況で、
井口忠仁の逆指名で内野のコンバートを行い、
膝の故障でファースト(DH)転向が決まっていた吉永を入れても、
まだこのどちらかが空くという構図になっていたのである。
二軍も城島健司以外の若手・中堅が伸び悩んでおり、やはり代わりはいなかった。

ファーストを上位指名できる構成とは

この両チームに共通しているのは、
ファーストを獲りに行ける非常に特殊な状況にあったという点だ。
84~85年の西武は他の内野手が若手中堅に入れ替わり、
85年には前年指名したショートの田辺徳雄も急成長していて、
故障を抱えている石毛宏典のコンバートが可能な体制も整いつつあった。
一方の96年ダイエー井口忠仁の逆指名でファースト以外の内野に若い選手が揃い、
外野もまだ若い村松とさほど衰えを見せない秋山に加えて
大道典良の成長や逆指名に近い形で獲得した柴原洋の存在もあった。
加えて共通していたのが、数年以内に新しくファースト、DHに入りそうな
ベテランの強打者が不在という点である。
たとえ清原、松中が出てくるまでに数年かかったとしても、
その頃にはやはりこの2つのポジションが空いている可能性が高い状況だったのだ。

ちなみにファーストが埋まった(埋まりかけた)後の西武とダイエー
レフト(+DH)の日本人選手が空いており、
外国人選手の枠を残しておくという特徴もあった。
もちろん、このような戦略をとりやすい最大の要因はDH制の存在である。
これがなければ、清原がいる中でバークレオデストラーデの外国人補強は
非常に難しかったろうし、のちの鈴木健起用も石毛宏典との二択を強いられていた。
もしこれがセリーグだったら、あるいは外国人枠が当時より拡大した現代だったら、
この戦略にももう少し変化が出てきたことだろう。
基本的に当事者への取材や寝業などを取り上げていない「根本流のドラフト」は
外国人枠や投手起用などが3、40年前から一つも変わっていないことを前提
しているため、この点も考えながら戦略を学ぶ必要がある。

*1:ただし大抵は高校生指名限定。逆に、去年のロッテ藤岡裕大指名などは内心かなりブチ切れてる人もいるようだ。だからといって、わざわざ角中勝也をライトに回してまでライト経験のある藤岡をレフトにする必要もないだろうに

*2:広沢指名は3球団、同じく広沢を外した日本ハムも翌年清原を指名している。当たり前のことだが、広沢を獲得できたヤクルトは清原を指名していない